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あなたのうしろなう。^_^

 戦争映画を立て続けに観た所為か、兵隊さんが夢に出た。
 暗い洞窟の中からじっと此方を見ている。周りの風景や、服装などの細部はぼやけているのに、顔だけが矢鱈はっきりとしている。四角張った顔に、切れ長の鋭い目。この顔には見覚えがある。
 故陸軍曹長 松戸史郎(仮名)、享年23。私の曾祖叔父(曾祖父の弟)に当る人物である。少なくとも、私が10歳の時に曾祖父が亡くなる迄は、実家の仏間に遺影が飾られていたのを覚えている。老人ばかりの遺影の中に在って、その若さと鋭い眼光が記憶に焼きついていた。
 さて、戦争映画の観過ぎでおっかない曾祖叔父の史郎(仮名)が夢に出て来た迄はいいのだが、洞窟というシチュエーションが妙に気に掛かった。何故だか解らないけれども、兎に角気になる。そこで、史郎について少し調べてみることにした。

  先ず、実家に居る姉に頼んで、史郎の遺影を写真に撮って電子メールで送って貰う。この時点で何かしら写り込んででもいれば話が早いのだが、特に何ら変哲もない画像が届いた。遺影の史郎は、概ね幼少期の記憶にある面影と違わなかったが、存外に険しい顔という訳でもない。確かに顔立ちは恐ろし気なのだが、表情は心此処に非ずといった無表情だった。
 ともあれ、重要なのは、遺影の隅に貼ってある古い紙切れの方だ。文言の特徴から、戦死公報を書き写したものと思われる。曰く「昭和十九年六月二十五日 南方ニューギニヤ ビヤク島ニ於テ戦死」・・・この情報から何処まで手繰れるものだろうか。
 ・・・と思ったら、直ぐに有力な情報に在り付けた。検索サイトで「ビアク島」とあてるだけで一発である。

ビアク島の戦い (昭和19年5月27日 - 8月20日)

  詳細は余りに凄惨な為ここでは割愛するが、場所と日時からすると、この戦闘の最中の戦死であったとみていいだろう。
 更に、この戦闘の中心になったとされる<陸軍歩兵第222連隊>について検索すると、昭和14年編成、岩手県人を主体とし、青森・秋田・山形出身の東北健児並びに全国各県より選ばれた精鋭部隊」という文言も出てきた。史郎は岩手県の出身であり、精鋭かどうかは兎も角、かなり早い段階で出征していった志願兵でもある。この部隊の所属である可能性もありそうだ。

 大体の見当がついたところで、「ビアク島の戦い」の経緯についてじっくりと読んでいくと、ある文言に突き当たり、思わず声が漏れてしまった。

6月27日 西洞窟陥落

  これも詳細については割愛をするが、疲弊し追い詰められた部隊が立て籠もったとされる、この巨大な洞窟が米軍に制圧された日時が、6月27日とある。史郎の戦死は6月25日・・・この洞窟内とみて、ほぼ間違い無いのではないか。更に、この25日という日に何が起きたのかも明白なのだが、それと史郎の死を直接結びつける事は、ここでは敢えて控えよう。
 思いのほか詳細な状況が浮かび上がって来てしまった。更に、史郎が222連隊の所属であったことを確定させ、この隊の活動記録を探っていけば、史郎の出征後の動向につても克明に解るかもしれない。


 ・・・とはいえ、戦死したと思われる場所に佇む史郎を夢に見てしまったことは、全くの不覚であった。恐らく、今は覚えていないというだけで、幼少期に曽祖父や他の曾祖叔父たちから聞くなどして、何となく知っていたのではないかと思う。それが、何らかの刺激(例えば、凄惨な戦争映画を立て続けに観ただとか)に因って識域下の記憶が呼び覚まされたのではないか。これを、遂に目覚めた霊能力だとか、ご先祖様からの警鐘だとか、そんな風に思える程に、最早私も純粋ではない・・・。夢に見た洞窟と、実際の西洞窟では、全く形状が違っていたのだし。

 予断ではあるが、検索の過程で、「ビアク島の戦い」による戦没者の為の慰霊碑が、私の今住んでいる所から極く近い場所に在ることを知った。春先までは毎日散歩で通っていた道でもある。人気が無くて何だか不気味な処だと思っていた。或いは、「おい、近くに居るなら一度位は拝みに来い」だとか、唯それだけの事だったのかも知れない・・・と、純粋に受け取っておきたい。お盆までに一度、参拝に行こうと思う。


参考