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黒澤明『蝦蟇の油 自伝のようなもの』

黒澤明『蝦蟇の油 自伝のようなもの』を読了。

思わず唸ってしまったのは、小学校時代からの友人・植草圭之助氏との関係である。氏に対する評価のなかの、「私は苦悩に抗うために強者の顔をするが、彼は苦悩に耽溺するために弱者の顔をする」という部分にはドキッとさせられた。「それは本質の違いではなく、単なる表層のちがいだ」と。なぜか耳が痛い。ここまで辛辣に氏の性質を分析しながら、つかず離れずの友人関係でいられるとは羨ましい。

他にも、わたしがついこのあいだ、必死に無い頭をこねくり回して捻り出した理屈を、「詭弁にすぎない」とバッサリ切られていたりもするのだが、まあ・・・それはそれ。じっくり考えることにしよう、70歳くらいまでは。

老人にありがちな、「昔はよかった」というような節も散見される。わたしもさすがに辟易しながら読み飛ばそうとしたのだが、そのとき、ちょうど窓の外の道路を通る車の排気音があまりにもうるさいのに、思わず顔をしかめているのに気が付いて、ちょっと苦笑してしまった。今しがた、「耳をすましても聞こえるのは電子音ばかり、今の子どもはかわいそうだ・・・云々」という一節を読んだところだった。多分に弁解がましくなってしまうが、だから自動車は悪だとか、嫌いだ、などという理屈が云いたいのではない、そういう感情もある、あってもいい、と思うだけなのだ・・・。

他には、幼少期の衝撃的なトラウマの吐露があり、これはしばらく忘れられそうにない・・・。動物関連の酷い話を苦手な人は、特に注意されたい。関東大震災の体験は、生々しく、凄惨なものであるが、ある種の荘厳さもあって、眩暈がした。そして、青年期の放浪、兄の死、映画業との邂逅・・・という一連の展開には、カタルシスさえ感じてしまう。

楽しい話もあった。少年期の秋田での野武士のような暮らしぶりは実にみずみずしく、いきいきとしているし、助監督時代の師・山本嘉次郎氏からの薫陶ぶりなどは、この自伝で数少ない、胸が暖かくなるような優しいエピソードであった。峠の風か・・・。